そうだ、今こそアドベンチャー!~ 沸く沸く、沸いてる!八重山 (1)
テーマ : 日記
ジャンル : 日記
みなさんこんにちは。
中学校のときに、西表島から転校生がやってくることになった。
イリオモテジマ・・・・・
日本の端っこにある沖縄の、そのまた端っこ西表島。
特別天然記念物イリオモテヤマネコが棲息するという秘境から転校生がやってくる。
いや、そもそも、そんな秘境に住んでる人がいたなんて。
そのうえ中学校があったなんて。
無知な中学生であったわたしは、特別天然記念物がいる地域というだけで、ヤマネコ調査隊しか住めないような島だと考え、
そんなところに住んでるなんて、なんだかすごすぎる。
どんな沖縄少女がやってくるのだろう?
きっと驚くほど色が黒いに違いない。
想像はふくらむばかり。
わくわくしながらその転校生がやってくるのを待った。
やってきた転校生の女の子は、髪が黒く長く、目がくりくりしたかわいい子で、
わたしよりも驚くほど、色が、
白かった。
びっくりした。
もともと和歌山出身だったらしく、ことばもわたしたちと同じ。
父親の仕事の都合で、しばらく西表島にいただけのようだった。
その子は、西表のことを特に自慢するでもなく、
「ヤマネコなんて、いっつも見れるわ~」
などと吹聴するでもなく、ただただまじめな普通の子だった。
そのためわたしの西表島の印象は、こじんまりした島というイメージだったのだ。
しかし西表島は沖縄県の中では、本島に次いで大きい。
日本で12番目に大きい島である。
宮古島よりも石垣島よりも大きいのである。
そこそこでっかい島なのに、人口は三千人もいないらしい。
しかし、そこに面白いものがわんさかあるという。
しかちくは、
「そこでアドベンチャーをしよう!」
とドラゴンボールの主題歌みたいな提案をする。
たしかに、アドベンチャーには限りがある。
松尾芭蕉が最後のアドベンチャー『奥の細道』の旅に出た年齢も、わたしたちと同じくらいの年である。
寄る年波を嘆いているあいだにも年は取る。
ならば!
これからがんがんアドベンチャーの旅をしよう!
という決意をした。
そうして手始めに、西表島に行こう!ということになった。
西表島は本州からは遠いけど、宮古島からは近い。
石垣島からフェリーで40分。
そこにアドベンチャーが眠るのだ。
6月。
じつは沖縄観光の穴場的時期は6月である。
ゴールデンウィークも終わり、梅雨になり、しかし、梅雨も明けかけで、夏のハイシーズンまではまだ間がある。
おまけに夏至をひかえて、やたら日が長い。
暑すぎない。
これほどベストのシーズンはないのではないか?というのが6月なのだ。
わたしたちも宮古島に住んで12年目。
ようやく沖縄観光は6月あたりがいい、ということに気が付いた。
土曜日。
やきもきさせた台風も、どうにか過ぎて飛行機は宮古島から35分で石垣島に着く。
石垣島は11年前、一度来たことがある。
そのときは宮古島よりものんびりしたおおらかな島という印象だった。
が。
石垣島は変貌していた。
目を見開くほどの変化があった。
それはまるで、25歳のときの中学の同窓会。
まじめでおとなしかった子が、髪を赤く染めて全身革のいでたちでやってきてたのと似ていて、
アンタ、この10年で何があったのよ!?
と思わず全身を上から下まで何往復も見てしまうみたいな変わりよう。
以前のおもかげがまるでなくなっていて、宮古島よりもずいぶんと派手な島になっていた。
「活気あるなあ」
と何度言ったであろう。
フェリーターミナルに向かう道は土産物屋やカフェが並び、まるでちょっとしたハワイ感すらあった。
わたしたちはそこからフェリーでまず竹富島に行こうということになっていた。
竹富島といえば、さいきんでは石原さとみさんが恋人と訪れたということで話題になった。
なんだかお忍び感がただよう書き方だったのだが。
アンタ、お忍びなんて、とんでもないよ!
フェリーは満員。
日本人中国人欧米人、ありとあらゆる人でごった返し、どんな優秀な忍者でも、忍べる場所はなさそうに思える混雑ぶりだった。
「これだったら石原さとみ、忍びんな」
「忍びんよ」
というへんてこな会話をしながらフェリーで10分。
竹富島に到着。
竹富島は赤瓦の平屋が並ぶ琉球独特の街並みで有名なところ。
そこを水牛車でゆっくーり回るというのがオススメであるらしい。
わたしたちも水牛車に乗ることにした。
受付場所はお土産物屋も兼ねている。
そこは、観光客でぎゅうぎゅう詰めであった。
活気あるどころではなく、人が多すぎて殺気だってすらいた。
「ここはほんとに沖縄の離島なのか?」
というくらい、観光客であふれかえっていた。

いったいぜんたい、竹富島には何があるというのだろう?
わたしは少し期待しながら水牛車の順番を待った。
つづく
とりぶう
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あしたも、お待ちしております。!
みなさんこんにちは。
中学校のときに、西表島から転校生がやってくることになった。
イリオモテジマ・・・・・
日本の端っこにある沖縄の、そのまた端っこ西表島。
特別天然記念物イリオモテヤマネコが棲息するという秘境から転校生がやってくる。
いや、そもそも、そんな秘境に住んでる人がいたなんて。
そのうえ中学校があったなんて。
無知な中学生であったわたしは、特別天然記念物がいる地域というだけで、ヤマネコ調査隊しか住めないような島だと考え、
そんなところに住んでるなんて、なんだかすごすぎる。
どんな沖縄少女がやってくるのだろう?
きっと驚くほど色が黒いに違いない。
想像はふくらむばかり。
わくわくしながらその転校生がやってくるのを待った。
やってきた転校生の女の子は、髪が黒く長く、目がくりくりしたかわいい子で、
わたしよりも驚くほど、色が、
白かった。
びっくりした。
もともと和歌山出身だったらしく、ことばもわたしたちと同じ。
父親の仕事の都合で、しばらく西表島にいただけのようだった。
その子は、西表のことを特に自慢するでもなく、
「ヤマネコなんて、いっつも見れるわ~」
などと吹聴するでもなく、ただただまじめな普通の子だった。
そのためわたしの西表島の印象は、こじんまりした島というイメージだったのだ。
しかし西表島は沖縄県の中では、本島に次いで大きい。
日本で12番目に大きい島である。
宮古島よりも石垣島よりも大きいのである。
そこそこでっかい島なのに、人口は三千人もいないらしい。
しかし、そこに面白いものがわんさかあるという。
しかちくは、
「そこでアドベンチャーをしよう!」
とドラゴンボールの主題歌みたいな提案をする。
たしかに、アドベンチャーには限りがある。
松尾芭蕉が最後のアドベンチャー『奥の細道』の旅に出た年齢も、わたしたちと同じくらいの年である。
寄る年波を嘆いているあいだにも年は取る。
ならば!
これからがんがんアドベンチャーの旅をしよう!
という決意をした。
そうして手始めに、西表島に行こう!ということになった。
西表島は本州からは遠いけど、宮古島からは近い。
石垣島からフェリーで40分。
そこにアドベンチャーが眠るのだ。
6月。
じつは沖縄観光の穴場的時期は6月である。
ゴールデンウィークも終わり、梅雨になり、しかし、梅雨も明けかけで、夏のハイシーズンまではまだ間がある。
おまけに夏至をひかえて、やたら日が長い。
暑すぎない。
これほどベストのシーズンはないのではないか?というのが6月なのだ。
わたしたちも宮古島に住んで12年目。
ようやく沖縄観光は6月あたりがいい、ということに気が付いた。
土曜日。
やきもきさせた台風も、どうにか過ぎて飛行機は宮古島から35分で石垣島に着く。
石垣島は11年前、一度来たことがある。
そのときは宮古島よりものんびりしたおおらかな島という印象だった。
が。
石垣島は変貌していた。
目を見開くほどの変化があった。
それはまるで、25歳のときの中学の同窓会。
まじめでおとなしかった子が、髪を赤く染めて全身革のいでたちでやってきてたのと似ていて、
アンタ、この10年で何があったのよ!?
と思わず全身を上から下まで何往復も見てしまうみたいな変わりよう。
以前のおもかげがまるでなくなっていて、宮古島よりもずいぶんと派手な島になっていた。
「活気あるなあ」
と何度言ったであろう。
フェリーターミナルに向かう道は土産物屋やカフェが並び、まるでちょっとしたハワイ感すらあった。
わたしたちはそこからフェリーでまず竹富島に行こうということになっていた。
竹富島といえば、さいきんでは石原さとみさんが恋人と訪れたということで話題になった。
なんだかお忍び感がただよう書き方だったのだが。
アンタ、お忍びなんて、とんでもないよ!
フェリーは満員。
日本人中国人欧米人、ありとあらゆる人でごった返し、どんな優秀な忍者でも、忍べる場所はなさそうに思える混雑ぶりだった。
「これだったら石原さとみ、忍びんな」
「忍びんよ」
というへんてこな会話をしながらフェリーで10分。
竹富島に到着。
竹富島は赤瓦の平屋が並ぶ琉球独特の街並みで有名なところ。
そこを水牛車でゆっくーり回るというのがオススメであるらしい。
わたしたちも水牛車に乗ることにした。
受付場所はお土産物屋も兼ねている。
そこは、観光客でぎゅうぎゅう詰めであった。
活気あるどころではなく、人が多すぎて殺気だってすらいた。
「ここはほんとに沖縄の離島なのか?」
というくらい、観光客であふれかえっていた。

いったいぜんたい、竹富島には何があるというのだろう?
わたしは少し期待しながら水牛車の順番を待った。
つづく
とりぶう






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