気楽な努力
テーマ : 日記
ジャンル : 日記
みなさんこんにちは。
きのう、夜寝る前にいきなり思いついたこと。
「たちばなし、たちばなしでたちばなし」
これに漢字をあててみると、
「橘氏、立ち話で立場なし」
になるではないか!
わーお!ブラボー!
さっそく誰かに知らせなければ!
と思ってお知らせした次第です。
朝礼のネタにしてください。(だれがするか)
このように。
わたしは常にばかげたことを考えるよう心掛けている。
というのも、寄る年波とともに、
気を抜いたらすぐ、若者に対する訓戒をだらだら垂れてしまうおそれがあるからだ。
聞いてくれそうな若者を見つけたら、走って行ってひっつかまえては、
「あたしたちの若いころはぁ!」
とためにならない話を始めてしまう恐れがある。
だいたい、尊敬してない大人の説教話ほど、聞きたくないもんはない。
いや、尊敬している人であっても、説教話は聞きたくないものである。
ましてや高齢化の世の中。
町は説教したい人であふれている。
そのうち説教を聞いてくれる人の前には行列ができるかもしれん。
そういえば、子どものころ近所に怖いおじさんがいた。
とくに悪いことをしていなくても、そのおじさんが見えると緊張した。
戦争に行って失ったという片腕がフック状になっていて、それがまた恐ろしさを倍増させた。
そのおじさんは、自転車の置き方が悪いだの、人の家の敷地を踏んだだの、
子どもとみれば、なにかひとつ言ってやらねば気が済まぬ、
子どもは説教垂れてなんぼ、とでも思っていたようで、
常に気ムズカシイ顔つきで、笑った顔など見たことなかった。
当時は子どもがいまよりも多かったので、おじさんも説教しがいがあったであろう。
わたしのまわりでもそのおじさんに説教されてない子はいなかった。
しかし、今は説教したい人は多いのに、子どもの数は少ない。
需要と供給のバランスが崩れている。
このまま心の赴くままに説教たれる大人になっていいのか?
と思うと、それはおそろしい未来だ、ということで、
わたしは、常に気楽なひとであるというオーラを出しておこうと思っているのだ。
そのために、くだらな~い話をしょっちゅう考えている。
いわば、気楽になる努力をしているのである。

※上のイラストはとくに意味はありません。
そうすると、うかつに人に説教しなくて済む。
気楽なひとには気楽な仲間ができるであろう。
それが望ましい未来である。
しかし。
「そんなええ大人が、あほみたいに気楽でどうするんだ!」
と説教される恐れがある。
ああ、どうかわたしの前に説教したい人々が行列しませんように。
それでは~
とりぶう
少しでも面白かったら、下をクリックで応援よろしくお願いします。とりぶうの絵が踊るよ!


あしたも、お待ちしております。!
みなさんこんにちは。
きのう、夜寝る前にいきなり思いついたこと。
「たちばなし、たちばなしでたちばなし」
これに漢字をあててみると、
「橘氏、立ち話で立場なし」
になるではないか!
わーお!ブラボー!
さっそく誰かに知らせなければ!
と思ってお知らせした次第です。
朝礼のネタにしてください。(だれがするか)
このように。
わたしは常にばかげたことを考えるよう心掛けている。
というのも、寄る年波とともに、
気を抜いたらすぐ、若者に対する訓戒をだらだら垂れてしまうおそれがあるからだ。
聞いてくれそうな若者を見つけたら、走って行ってひっつかまえては、
「あたしたちの若いころはぁ!」
とためにならない話を始めてしまう恐れがある。
だいたい、尊敬してない大人の説教話ほど、聞きたくないもんはない。
いや、尊敬している人であっても、説教話は聞きたくないものである。
ましてや高齢化の世の中。
町は説教したい人であふれている。
そのうち説教を聞いてくれる人の前には行列ができるかもしれん。
そういえば、子どものころ近所に怖いおじさんがいた。
とくに悪いことをしていなくても、そのおじさんが見えると緊張した。
戦争に行って失ったという片腕がフック状になっていて、それがまた恐ろしさを倍増させた。
そのおじさんは、自転車の置き方が悪いだの、人の家の敷地を踏んだだの、
子どもとみれば、なにかひとつ言ってやらねば気が済まぬ、
子どもは説教垂れてなんぼ、とでも思っていたようで、
常に気ムズカシイ顔つきで、笑った顔など見たことなかった。
当時は子どもがいまよりも多かったので、おじさんも説教しがいがあったであろう。
わたしのまわりでもそのおじさんに説教されてない子はいなかった。
しかし、今は説教したい人は多いのに、子どもの数は少ない。
需要と供給のバランスが崩れている。
このまま心の赴くままに説教たれる大人になっていいのか?
と思うと、それはおそろしい未来だ、ということで、
わたしは、常に気楽なひとであるというオーラを出しておこうと思っているのだ。
そのために、くだらな~い話をしょっちゅう考えている。
いわば、気楽になる努力をしているのである。

※上のイラストはとくに意味はありません。
そうすると、うかつに人に説教しなくて済む。
気楽なひとには気楽な仲間ができるであろう。
それが望ましい未来である。
しかし。
「そんなええ大人が、あほみたいに気楽でどうするんだ!」
と説教される恐れがある。
ああ、どうかわたしの前に説教したい人々が行列しませんように。
それでは~
とりぶう






あしたも、お待ちしております。!
